[富樫君と田所センセ] |
[雪山1]※仮タイトル |
例年以上に厳しい冬が、漸く次の季節へと場所を譲ってくれたお陰で、 見上げた枝の先には、今年最初の薄桃色の花が咲いている。 寒さに耐えた分、やっと何時も以上に美しい花を咲かせたのだろう。 毎年、見慣れている筈の櫻の花が、 今年はいつまでも立ち止まって見入ってしまうほど美しく目に映った。 けれど彼にとって、今年の櫻はどんな風に映ったのか? その時の俺には、分かる筈もなかった。 なぜなら・・・俺達は、まだ互いの存在さえ知らなかったのだから。 |
[雪山2] |
ペタペタペタ。 不思議な音がする。 何の音だろう? そうして気付いた。 「なんだ、そうか」と一人で納得して、小さく笑ってしまった。 自分の足音だ。 履き慣れたスリッパ代わりのサンダルを、独特の歩き方のせいか、 俺は何時もこんな足音を立てながら歩いているらしい。 両のポケットに手を突っ込んで、僅かに前屈みになって歩いてしまう。 首にぶら下げた愛用の眼鏡が、思いの外に重荷になっているんだろうか? いや、単に俺の姿勢が悪いだけ・・・だと思う。 職業柄、本来ならもう少しちゃんとした説明が出来なきゃならんのだろうが、 まぁ別にいいだろう。 俺の歩く時の姿勢が悪いからって、周りに迷惑掛ける訳でも無し。 なんて事を考えながら歩いていたら、 後から俺以上に五月蝿くしながらこっちに駆けて来るヤツがいる。 「先生!!先生ったら!!田所先生!!」 田所新作。 これが俺の名前だ。 関東監察医務院の部長監察医をやってる。 専門は[骨格復元]。 歳は37歳で独身。 ってか、妻とは死別。 以降、独身を貫いている・・・・・というより、忙しくて恋人すら探せない。 それから、俺を呼んでたのは天野ひかる。 うちでは一番の新顔で、監察医とは名ばかりの研修中のお嬢さんだ。 元気が取り柄の彼女でも、此処での生活は予想以上にハードでシビアで、 時に泣きが入る事も珍しくはないが、俺を含めた素晴らしい(?)同僚達や、 勿論自分自身の努力と研鑽で、一日一日間違いなく成長していて、 責任者の俺としては、この所漸くホッと一息付かせてもらったりしているところだ。 その天野が眉間に縦皺クッキリで駆け寄ってきた。 「どしたよ?」 「もぅ〜探したんですよ!!」 「ん?何かまた事件か?」 「事件じゃありません!!」 「??じゃ、ナニ??」 「月山さん達と、警察病院で待ち合わせだったんじゃないんですか?!」 「へ?」 「さっきっから、何度も何度も電話入ってるんですよ!!」 「ああっ!!」 そう云えば、そうだった様な・・・・・不味い、月山に撃たれる★ 「今から、出るって言っといて!!」 俺は天野をその場に残し、それだけを言い置くと駆け出した。 |
[雪山3] |
「遅れる、遅れる・・・・・違った!! 遅れちまってるっての!!」 警察病院の駐車場に愛車を停めた俺は、 年代物の爺さんの形見の懐中時計を見た途端叫んでいた。 目の前に、怒りの余り眼の釣り上がった月山の顔が チラチラして仕様が無い。 3Kが当たり前の刑事といっても月山は例外で、 絶えず手入れの行き届いた美しい手には、 同様に手入れの行き届いた銃が握られて・・・・・ その銃口が、自分に向けられる前に、何としても目的地に辿り着かなければならない。 [不思議の国の〜]ナントカに出てくるっていうウサギみたいに 懐中時計を仕舞いながら、「遅れる」を連発しつつ、 待ち合わせの場所に向かって、建物の中ではないんだからいいだろうと、 最短距離を行く為に、中庭を全速力で駆け抜ける。 ・・・・・つもりだった。 4月。 街中、いたる所で今を盛りと咲き競う桜だった。 勿論、俺の勤務先の関東監察医務院にも何本もの桜の木が植えてあって、 5分から8分の花を咲かせていた。 だから今更珍しくも、改めて美しいとも思わない筈だったんだが、 何故だか俺はこの時、切羽詰っているにも係わらず、 その桜の木に目を奪われ、立ち止まって見入ってしまった。 一際大きな桜の木は、よく見ればその分老いた様子で、 所々の枝が朽ちて先が無くなっていたり、 宿木に寄生された枝には、花の咲かない歪な形の枝がグロテスクに生えていたりで 美しいだけではない、老木の辿ってきた時間の長さを感じさせられた。 それでも、大木の大部分に咲く花は美しく、俺はウットリとその様を見上げていた。 異音を耳にしたのは、そんな時だった。 ゴトリ、ゴトリと聞こえるそれは、老木の太い幹の後ろ側から聞こえてくる様だった。 俺は、急いで回り込んでみる事にしたが、 老木を支えるに相応しい、大きくて太い根が、地中から地上へと、 其処此処に隆起していて、足元に注意しながら慎重に進まざるをえなかった。 (こりゃ、上ばかり見てたらあぶねぇな。 足取られて捻挫か、悪くすりゃ骨折くらいしかねねぇ) 果たして、俺の心配が当っていたらしい。 注意しながら回り込んだ老木の反対側に、一台の車椅子が立ち往生していた。 車輪を大きな根に取られ、抜け出せないらしいのだ。 ざっと周りを見る限り、車椅子に乗っている青年以外に付き添いも無く、 一人でどうにか抜け出そうと、四苦八苦していた。 見れば、体格は俺よりも一回りは大きく、細身でも頑丈そうな身体つきなので、 車椅子という事は、足を悪くしているのだろう。 車椅子に乗ったままの脱出は無理そうだ。 今更の月山の角の生えた顔はこの際暫く置いておく事にした俺は、 青年に更に近付きながら声を掛けてみた。 「手伝いましょうか?」 青年が振り向いた。 浅黒く日に焼けた、精悍な顔つきの青年に不似合いな暗鬱な色の瞳が俺に向けられた。 |
[雪山4] |
白が・・・辺り一面を白が覆い尽す。 びょおと一陣の風が舞い上げたのは[雪]だった。 俺は、いつの間にか吹雪の只中に居た。 身震いをしながら眼を凝らした先に、突然の寒さの現況を見付けた。 飴色の、作り物めいた瞳が、氷の冷たさだけを滲ませながら俺を見ていた。 車椅子の青年だと認識した途端、我に帰ってみれば何の事は無い。 そもそも今は春で、見渡せば桜が満開だ。 今更気温が下がったとしても、 雪が降るなんて事は、まず無いと言っていいだろう。 幾ら[花冷え]という言葉が有る、とはいってもだ。 だから、俺が[雪]だと・・・[吹雪]だと思ったのは、 実はこの季節には珍しくもない、[桜の花びら]で、 吹雪は吹雪でも[桜吹雪]だった。 現に、今も俺と青年の周りを飛ぶ様に、流れる様に桜の花びらが舞っている。 それにしても、暗い目をした青年だった。 じっと此方を見詰めてくるのだが、実際は俺でなく、 俺を通り越した何処かを見ている様だった。 その様子が気になりはしたものの、俺が声を掛けたきり帰ってこない返事に、 病院の中で待っている筈の月山の般若の如き相貌を思い出し、 思わず大きく身震いした俺は、もう一度、目の前の青年に声を掛けた。 「其処から抜け出すの、手伝いましょうか?」 何処かしらかを見ていた青年の意識が、俺に戻ってきたらしい。 俺を通り越していた視線が今度こそ俺を俺と見止め、改めて見詰めてきた。 そんな彼に対して、俺は正面からその視線を受け止め、 自分の持っている中から、出来るだけ人好きして見えるであろう笑みでもって笑い掛けた。 にこりと笑いながら、もう一声。 「見てくれはこんなだけど、結構力も有るんですよ」 俺は、自分が平均より小柄な部類に入るって事を充分に自覚しているので、 もしや、それを気にして目の前の青年が返事を言いあぐねているのではないかと思ったんだ。 だから、そこの所は大丈夫だ、任せなさいという感じで言ってみたのだった。 それでも返事を寄越さない青年に、急いでいるからといって、 このままにして行ってしまうわけにも行かないと思う俺は、 身の内の苛立ちを悟られない様にと気を付けながら、 だんまりのままの青年に向かって手を差し出した。 「大丈夫ですから」 俺の目に据えられていた視線が、そこで漸く俺の差し出した手へと下げられた。 「任せてください、ね?」 駄目押しとばかりの最後の一声に、青年は諦めたような溜息を一つ零した。 そうしてやっとの事で、差し出した俺の手に、青年の手が乗せられた。 何気なく、青年の手を追ってしまう。 差し出された、包帯の何重にも巻かれた右の手。 自分の迂闊さに歯噛みした。 彼の右の手の中指から小指までの三本。 第一関節から先は、明らかに欠損していたのだった。 |
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